今日は,奉行所玄関右側に続く「使者之間」を紹介します。(使者之間写真)
使者之間は,主人のお供をして奉行所を訪問した人が待機する部屋でした。
この部屋では,箱館奉行所に関する歴史や復元などの概略を映像にまとめ2分間で紹介しています。
左手には,背景を玄関大床と同じ張付壁で仕上げた弓鉄床といわれる床があります。これは,弓矢や鉄砲が掛けられる場所であったことから呼ばれる名称のようです。
この張付壁には,縦・横型の掛け軸,扁額が掛けてあります。
左の掛け軸は榎本武揚のもので,箱館奉行所が箱館山麓から現在地に移転したのが1864年,大政奉還を経て明治新政府に引き渡された後,旧幕府脱走軍のリーダーとして箱館戦争を指揮し,1869年5月降伏して東京に護送されるときに作られた市立函館博物館所蔵品の複製です。
右の扁額は,東京日野にある土方歳三資料館所蔵品の複製で,箱館で亡くなった土方歳三の甥である土方隼人作助が叔父さんの戦死の状況を知りたいと,政府の高官に返りざいた榎本武揚のもとを訪ねたとき,「入室伹清風(にゅうしつしょせいふう) 梁川」[歳三という男。部屋に入ると清らかな風が吹くような、そんなさわやかな人物であった。]と,詠んでくれたもの(土方愛著「子孫が語る土方歳三」より)だそうです。
最後の梁川(りょうせん)は榎本武揚の俳号で,函館市にはこの榎本武揚にかかわる梁川町,榎本町,中島三郎助にかかわる中島町,高松凌雲にかかわる高松町や松川弁之助にかかわる松川町など,箱館戦争ゆかりの町名が残っていることも興味深い話だと思います。