また、開港地である箱館には、外国人が数多く上陸し、領事館など諸外国の居住地が隣り合っていました。そこで五稜郭および箱館奉行所には、日本を治める幕府の政庁としての威信が求められたはずです。
国の特別史跡・五稜郭跡の歴史的意義や価値を伝えるには、奉行所の復元をふくめた整備が必要であると考えられてきました。五稜郭および箱館奉行所は、江戸幕府が直接かかわって築造し、さらに幕末という近代の史跡であることから、多くの資料が存在すると考えられました。また、奉行所が取り壊された後も、五稜郭は積極的な活用はされず、公園として一般開放されましたが、国の史跡として厳しい開発規制がかけられていたために、石垣、土塁もよく保存され、遺構も残存することになりました。 |
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(14)現存する唯一の奉行所付属建物である土蔵(兵糧庫) |