箱館奉行所 公式ウェブサイト
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箱館奉行所の復元

五稜郭・奉行所の整備と復元への歩み
五稜郭の完成から約150年を経て、築造当時の状況を伝えるものは、土塁・石垣、堀割、アカマツ、1棟の土蔵(兵糧庫)のみとなっていました。また、奉行所庁舎はわずか7年間しか存在しなかったため、箱館戦争という劇的な歴史エピソードの舞台となったこともあり、一般的な五稜郭のイメージは「戦場」「軍事施設」となっていました。
しかし、五稜郭は西洋式城郭として(当時の日本では)最新の城郭として築造されましたが、箱館奉行所ではもっぱら蝦夷地統治にかかわる業務がおこなわれていました。五稜郭を設計した武田斐三郎には、同時期に築造した弁天岬台場などとともに、五稜郭を中心とする城塞都市の青写真があったのかも知れません。また、五稜郭は外敵への防備の一方で函館山のふもとの市街地からも比較的近い場所にあり、統治の便が配慮されていました。
また、開港地である箱館には、外国人が数多く上陸し、領事館など諸外国の居住地が隣り合っていました。そこで五稜郭および箱館奉行所には、日本を治める幕府の政庁としての威信が求められたはずです。
国の特別史跡・五稜郭跡の歴史的意義や価値を伝えるには、奉行所の復元をふくめた整備が必要であると考えられてきました。五稜郭および箱館奉行所は、江戸幕府が直接かかわって築造し、さらに幕末という近代の史跡であることから、多くの資料が存在すると考えられました。また、奉行所が取り壊された後も、五稜郭は積極的な活用はされず、公園として一般開放されましたが、国の史跡として厳しい開発規制がかけられていたために、石垣、土塁もよく保存され、遺構も残存することになりました。
(14)現存する唯一の奉行所付属建屋である土蔵(兵糧庫)
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(14)現存する唯一の奉行所付属建物である土蔵(兵糧庫)

図書館・博物館が収集・保存してきた膨大な古文書、絵図面
昭和58(1983)年ころから、奉行所をふくめた五稜郭全体の復元整備をめざして、市立函館図書館(現 函館市中央図書館)・市立函館博物館などに保存されている関連資料の調査が始まりました。函館図書館は、岡田健蔵が私費を投じて設立した当初から郷土資料を精力的に収集しており、五稜郭や箱館奉行所に関する貴重な資料が収蔵されていました。
昭和59(1984)年からは、幕末・明治にかけての行政資料を多く所蔵する北海道立文書館・国立国会図書館・東京大学史料編纂所などで調査を始め、五稜郭全体の平面図絵、箱館奉行所の庁舎平面図、奉行所の古写真など、五稜郭・箱館奉行所の築造に関する重要な資料を発見しました。
(15)発掘調査で出土した屋根瓦
(15)発掘調査で出土した屋根瓦

遺構の発掘調査で絵図面の正確さが判明
文献資料の調査と並行して五稜郭内の発掘調査が実施され、奉行所庁舎の遺構が良好な状態で保存されていたことが確認され、同時に文献資料の精密さも確かめられていきました。五稜郭の平面図(設計図)からは、武田斐三郎の当初計画よりも、規模が縮小されていった変遷を知ることができました。
奉行所庁舎の平面図からは、柱の位置や部屋割りを詳細に読み取ることができ、さらに遺構からは確認できない2階部分の間取りや各部屋の名称なども知ることができました。実際の発掘調査によるデータと照らし合わせ、絵図面の縮尺割合も正確であることが確かめられています。

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(16)発掘された奉行所庁舎の遺構
(16)発掘された奉行所庁舎の遺構
(17)五稜郭庁舎平面図
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(17)五稜郭内庁舎平面図

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