五稜郭は、設計当初から星形の土塁を計画していたわけではありません。安政2(1855)年に箱館へ入港したフランス軍艦の軍人が、大砲や小銃による戦闘が中心となったヨーロッパで考案された土木技術を伝え、築城術が書かれた書籍を箱館奉行に贈呈しました。武田は設計図や絵図面を写し取って、西洋式築城術を学び五稜郭築造の参考にしました。
箱館奉行所が幕府に提出した文書には、「箱館に入港する外国の軍艦は、どれも大砲が充実している。それに対応するためには、西洋各国で採用されている築城術を参考にして、西洋式土塁の方法で役所を築造したい」と書かれています。
武田は模写した図面に独自の工夫を加えて設計図を完成させ、安政4(1857)年の春から五稜郭の工事が始まりました。途中、予算不足による縮小(半月堡を5か所から1か所に減らす)など、当初の設計や工事計画の変更がありましたが、万延元年(1860)年には土塁・掘割・石垣の工事が完成しました。
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