西暦(年号)
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事柄
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1793(寛政5)
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根室に来航したロシア船エカテリーナ号(ラクスマン)が箱館に入港し、福山で通商交渉を行う。
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1802(享和2)
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蝦夷奉行が箱館に設置される。 |
1803(享和3)
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奉行所が完成する(現在の元町公園付近)。 |
1807(文化4)
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蝦夷地が幕府の直轄地となり、松前藩は梁川(現在の福島県梁川町)に転封される。
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1811(文化8)
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国後島でロシア船ディアナ号船長ゴロウニンを拿捕して松前・箱館等で監禁し、交渉を経て1813年高田屋嘉兵衛と交換で解放する。
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1821(文政4)
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松前藩が蝦夷地に復領する。 |
1833(天保4)
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高田屋がロシア船との密約発覚により蝦夷地から追放される。
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1853(嘉永6)
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アメリカ東インド艦隊(ペリー提督)が浦賀沖に現れ、大統領親書を渡して離日する。
ロシア使節プチャーチンが長崎に来航するが、交渉開始前に離日する。
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1854(嘉永7)
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幕府が日米和親条約を締結する(下田・箱館の開港を決定)。<3月3日>
ペリー艦隊が箱館港に入港する(港内測量等を行う)。<4月15日>
箱館5〜6里四方が幕府直轄地となる。
箱館奉行所が再び設置される(箱館奉行:竹内保徳)。<6月30日>
ロシア使節プチャーチンが箱館に入港し、浄玄寺で会談する。
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1855(安政2)
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松前藩の領地を除く蝦夷地全域が幕府直轄地となる。
箱館を開港する。<3月1日>
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1856(安政3)
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箱館奉行が諸術調所を設置し、武田斐三郎を教授役に任ずる。
弁天岬台場築造に着工する(設計:武田斐三郎)。
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1857(安政4)
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五稜郭築造に着工する(設計:武田斐三郎)。 |
1859(安政6)
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箱館でアメリカ・イギリス・ロシア・オランダ・フランス5か国との貿易を開始する。<6月>
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1860(万延1)
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五稜郭北側外の役宅工事に着工する。
弁天岬台場の石垣工事が終了する。
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1861(文久1)
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ロシア軍艦ディアナ号の大砲24門の弁天岬台場配備を決定する。
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1862(文久2)
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五稜郭内の御役所(奉行所)工事に着工する。 |
1864(元治1)
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御役所の工事が終了する。
箱館奉行小出秀実が五稜郭で事務取扱を開始する。<6月15日>
弁天岬台場の工事が終了する。
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1866(慶応2)
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五稜郭関連の工事が終了する。 |
1868(慶応4)
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箱館奉行杉浦誠が新政府の清水谷公考に事務を引継ぐ。<閏4月26日>
箱館裁判所(箱館府)が五稜郭に開庁する。<5月1日>
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(明治1)
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旧幕府脱走軍が五稜郭を占領する。<10月26日>
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1869(明治2)
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旧幕府脱走軍が五稜郭を明け渡す。<5月18日>
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1871(明治4)
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五稜郭内の建物の大半が解体される。 |
1896(明治29)
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港湾改良工事により弁天岬台場が埋め立てられる。
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1914(大正3)
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五稜郭が公園として一般市民に開放される。<6月13日>
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1922(大正11)
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五稜郭が国の史跡に指定される。<10月12日>
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1929(昭和4)
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五稜郭外(堀外周の長斜坂)が国の史跡に追加指定される。<4月2日>
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1952(昭和27)
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五稜郭が国の特別史跡に指定される。<3月29日>
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1985(昭和60)
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五稜郭跡内の奉行所庁舎跡等の発掘調査を開始する(平成元年まで)。 「特別史跡五稜郭跡保存整備委員会」が発足する。
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1991(平成3)
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「特別史跡五稜郭跡保存整備基本計画」がつくられる。
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2000(平成12)
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「箱館奉行所復元構想」がつくられる。 |
2001(平成13)
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「箱館奉行所復元計画」がつくられる。 |
2004(平成16)
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「箱館奉行所復元基本設計」がつくられる。 |
2005(平成17)
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「箱館奉行所復元実施設計」がつくられる。 |
2006(平成18)
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箱館奉行所の復元工事に着工する。<7月8日>
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2010(平成22)
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箱館奉行所復元工事が完了し公開を開始する。<7月29日>
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