復元された奉行所を取り囲むようにそびえ立つアカマツは、五稜郭が築造された当時に植樹されたもので、樹齢は約150年となります。
また、五稜郭の春を彩るサクラは約1600本あり、そのほとんどがソメイヨシノです。五稜郭のサクラは、大正3(1914)年から大正12年にかけての植樹がはじまりです。当時の地元新聞「函館毎日新聞」が、公園として開放されたばかりの五稜郭に、発刊1万号記念に1万本のサクラを贈ったのがきっかけです。
失われたものと残ったもの
昭和29(1954)年には、北洋漁業の再開を記念して開催された「北洋博覧会」の会場となり、多くの人が五稜郭につめかけました。このとき、五稜郭内に建てられた建築物は、博覧会終了後に撤去されましたが、物産館として使用されていた建物だけが残され、市立函館博物館五稜郭分館として再利用されました。
また、このたび箱館奉行所が復元された五稜郭中央の広場では、長年にわたり市内の小学校・幼稚園の運動会などが開催されてきました。
五稜郭の北側に建築された役宅は、箱館戦争時に五稜郭籠城に備えた旧幕府脱走軍によって焼き払われ、その後昭和初期までは、牧場や畑地などになっていました。戦後は、五稜郭周辺にも民家が立ち並ぶようになり、原野にあらわれる五稜郭という築造当時の面影は失われました。
しかし、当時の名残を見つけることもできます。市立函館高校と函館大妻高校の間にあるアカマツの風致保安林(名所や旧跡の景色として維持・保存する森林)は、五稜郭築造当時の区画に沿って植えられたものです。
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